出産
出産予定日前日、子宮口に誘発剤のラミナリアを12本ほど差し込まれました。
夜中鈍痛で眠れず、その痛みは次第に大きくなっていきました。
朝になると、感覚的に痛みが襲い、陣痛が始まったようでした。
子宮口が4cm開いていました。
この調子だと、促進剤を打たないで産めるかもしれない!
しかしその希望は一瞬で消え去りました。
でかい病院にとって、出産は予定通りに進めなければならない仕事なのです。
妊婦が次から次へと待っているので、さっさと産ませてベットを開けなくてはいけません。
分娩室に移動した瞬間、陣痛が始まっているにも関わらずあっという間に促進剤を刺されました。
針が腕に刺さったまま出産です。何とも嫌な気分です。
30分毎に促進剤の量を増やされます。
どんどん痛みが強くなっていきます。
「もう十分強いから、これ以上増やさなくていいです!」と言ったものの、
「増やしていくのが決まりだからね」とスルー。
とても人工的な強い痛みです。赤ちゃんは、大丈夫だろうか??
お腹の赤ちゃんの心拍を図る機械をズレる度に抑えつけられて自由に動けません。
陣痛が1分間隔になり、痛みで体がガタガタ激しく震えます。体中に力が入ります。
赤ちゃんが産まれる!
その瞬間、それまで助産婦が一人だったのに、医者や看護婦、研修医が7人ほどドタドタと入ってきました。
許可なんかとってません。何事かと思いました。
会陰切開はしたくないと言っておいたのに、医者が機械を取り出し、今にも切ろうとします。
その瞬間、赤ちゃんの頭が出ました。
赤ちゃんの頭が出た瞬間、「お目目開けて可愛い~」とはしゃぐ若い看護師。
なんで生まれて最初に見た顔が私じゃなくて看護婦??痛みの中そんな思いが脳裏をよぎります。
赤ちゃんの臍の緒をすぐに切って、赤ちゃんを私の顔の横に置いてくれました。
感動の涙を流した10秒後には「では検査のためちょっとお借りしますね~」とあっという間に持っていかれてしましました。
カンガルーケアもお願いしていたのに、そんな話はなかったかのようです。
そのままベットに仰向けに寝かされ、まだ大きいお腹をぐいぐい押します。
胎盤を出すためです。痛い。とても乱暴です。
胎盤が出たあと、足を広げられました。傷を縫うようです。
会陰は伸びたから切れなかったけど、中が切れたのでそれを縫うというのです。
研修医の若い女性を中年男性医師が教えながら縫わせます。研修医なので時間がかかります。
膣の中を思いっきり引っ張り出して、縫っていきます。
なんで縫うのかわからず、縫う必要もわからず、ただ大人しく足を広げていました。
次の日、排便するたびに縫った場所の糸が突っ張り、悪露とは違う鮮血がしたたり落ち、縫った場所が5倍ぐらいに腫れ上がりました。
きっとベテラン医師ではなく、経験の浅い研修医が縫ったからでしょう。
痛くて痛くて、排便がストレスになり、便秘になりました。
中を縫う必要なんてない気がしました。
後で聞きましたが初産婦さんは皆中が切れるのは当たり前だそうです。
産まれる寸前に会陰を切ろうとした医師の行動は、縫う為の練習をさせるためにしか思えませんでした。
縫う練習のためならどこでもよかったのです。
腫れが治るまで1か月半以上かかりました。
縫ったことで重症化したのは明らかでした。
「痛い」といえば、痛み止めの薬がどんどん出されました。
また、出産が終わってすぐに、湿疹が出始めました。
促進剤を打っていた注射の針の付近から始まり、
お腹、背中、腕、胸、足とあっという間に広がっていきました。
経験したことのない激しい痒み。
何千引きもの蚊に一気に刺されたような感じです。恐怖です。
痒みで全身鳥肌がたち、気が狂いそうになりました。
ボツボツした湿疹が真っ赤に膨れ上がり、怪物のようにただれました。
掻き毟ると血が出てきました。でも我慢できません。
服が肌に触れるだけで痒みが広がるので、服をめくりお腹を丸出し、
看護婦さんにアイスロンを持ってきてもらい、昼夜とわず、冷やし続けました。
冷やすと少し痒みが和らぐのです。
看護婦さんに許可を取って、真夜中に水のシャワーを浴び続けました。
まだ寒い春先、出産したばかりの体に水シャワーは心臓が止まるような思いでした。
でも、痒みを少しでも押さえないと、赤ちゃんに授乳することができません。
暖かい赤ちゃんにちょっとでも触れると痒みが一気に増してくるからです。
なので生まれたての赤ちゃんに距離を置いて授乳しました。
体をぴったり寄り添ってあげれないのは本当に辛いことでした。
赤ちゃんに授乳するため、痒みを少しでも抑えようと、体を引きづり、死ぬ思いで水シャワーを浴びました。
沢山動いたので、骨盤が広がったまま固まってしまいました。
痒みで全く寝れず、入院中毎日2時間程度しか寝れませんでした。
体はどんどん疲労していきました。
赤ちゃんに1時間ごとに授乳しました。
初めての授乳は乳首がものすごく痛くなります。
それでも授乳してる時間は痒みを少しでも忘れられたので、
一時間ごとの授乳も乳首の痛さも痒みに比べたら苦ではありませんでした。
湿疹の原因は、促進剤の副作用と、促進剤の陣痛の強すぎる痛みによるストレス、でした。
医者はすぐにステロイド剤を処方しましたが、効きません。
一番強い薬を処方され、塗りましたが、酷く悪化してしまいました。
入院中、赤ちゃんは押し車に乗せて移動することが義務付けられていました。
そして、人工ミルクをどんどん出されました。
寝ていて飲まないと、看護婦さんが無理やり赤ちゃんを揺り動かして起こし、飲ませました。
赤ちゃんは笑うことなく、ひたすら眠り続けていました。
退院する日、最後に会陰の状態をみるからと、まだ傷がぐじゅぐじゅで血が出ている膣の中に冷たい機械を入れられました。
酷い痛みで怒りがこみ上げました。
退院してからも、痛みや痒みとの戦いで、出産の何倍も辛かったです。
完全に治るまで3か月ほどかかりました。
肌に残った湿疹の浅黒い跡を見る度、落ち込みました。
もうビキニは一生着れません。
無知な私は、医者に従うしかありませんでした。
そこに私の意志はなく、されるがままでした。ただただ、我慢して従いました。
でも、『これは違う』。何かが違う。そう私の心は叫んでいました。
何が違うのか??
何が間違っているのか??
その答えは、数か月後、ある一冊の本に出会ってやっとわかりました。