赤毛のアンのような子供時代

2016年02月18日 15:41

『赤毛のアン』のような女の子に育ちますように。
そう想いを込めて母は私に「アンナ」と名付けました。
母の願いが強かったのか、私は赤毛のアンのように、少し変わった...普通の子とは少し違う女の子だでした。


私はアンのようにとにかく『自然』が好きでした。
というよりも、周りにはいつも自然しかありませんでした。
私は7人兄弟の真ん中で、大家族の中で育ちました。
子供が多く経済的に厳しかった為、

両親は長野県の山奥に安くてボロボロの家を借り、
広い畑で野菜を作りながら質素に暮らしました。
果物は年に1度、お菓子は月に1度くらいしか与えられず、食べ物は畑の採れたて野菜と鶏の産みたて卵。
TVも漫画もゲームもなく、あるのは、田、川、山、動物達でした。
中学生になるまでの生活を思い返すと、『自然』しか浮かんできません。
学校の授業は何一つ覚えていません。


どんな子供時代だったか思い出せる限り箇条書きにして書いてみましょう。



家の裏に流れていた小川の底に揺れる藻を「わかめ」だと信じてお母さんにお土産に持って帰った。
自分と同じくらいの大きさの鶏を追いかけて捕まえて抱きかかえて遊んだ。
夕方になると黒いお化けのように裏山全体にカラスが群がり夜を過ごす。気味が悪かった。
大木置き場を秘密基地にして遊んだ。秘密基地というのは何故かわくわくする。
小学校の帰り道、笹の葉で船を作って小川に流して追いかけっこして帰った。
クローバーで白いお花の冠をよく作った。
吸うと甘い蜜が出る草や花をよく舐めていた。
枝を折って手で挟んで回すと、コロコロと優しい音が出るハート形の可愛い草。名前は知らない。
春一番に咲き出す雑草の花、オオイヌノフグリを慕っていた。
蕗の薹やつくしを採ってきて、醤油で焼いて食べた。美味しかった。
薪を燃やして炊いたヒノキのお風呂にお父さんと入るのは楽しかった。
田んぼのおたまじゃくしの成長を見守った。手よりも先に足が生える。
田んぼにはドジョウも住んでいたが、これは気持ちが悪かった。
木登りが大好きで、木を見つけては登った。木登りは登るより降りる方が難しい。
山梨の木に登って梨を採って食べた。山梨というのはとても小さくてすっぱい。
赤くて小さいグミのような実がいっぱいなる木。木の持ち主に見つからないようこそこそ隠れながら食べた。
秋になると田んぼに赤とんぼが群がる。腕を精一杯高く掲げて指を立ててじっとしてると必ずとまってくれた。
登下校の道はイチョウの葉が落ちて膝下まですっぽり埋まった。金色の道は歩くたびにサワサワと心地良い音を鳴らした。
雨が降ると雨漏り。部屋じゅうバケツだらけ。ぽつ、ぽた、ぼたた、色んな音が鳴り響く。
夜はカエルの合唱か、コオロギの翅の音か、キリギリスの歌に包まれて眠った。何とも綺麗な子守歌。
朝は小鳥や、鶯のさえずりで目が覚める。
風が吹いてる日は笹や木々がざわめく。それに合わせて歌を歌った。
川の流れの緩やかな場所の岩影がカニの住処。岩を持ち上げると驚いて一気に逃げ出す。捕まえて集めて、道路に並べて友達のカニとよーいどん!一番早いものが勝ち!
川にかかった一本の木を恐る恐る渡った。捕まるところなどない。落ちたら大けが。スリル満点だ。
夕方の川にこっそり遊びに行くと小さな魚たちが跳ねて踊って遊んでる。夕日に照らされた水しぶきがキラキラと宝石のように輝き心を奪われ、暗くなるまで眺めてた。
骨が透明に透けて見えてはかなげな稚魚達。川はよくよく見ると小さな命で溢れている。
大きな鯉や鮭に突然出会うこともある。そんな時はパンをちぎって投げてやると、ぱくっと食べる。
鳥は魚より警戒心が強く、すぐに自由な羽で大空へ飛び立ってしまう。大きな真っ白いカササギに出会った時は興奮する。どうして彼らは一本足で立つのだろう??その姿は凛としていて、ぶれることがない。
授業と授業の5分休みは、ひなたぼっこか、メダカの水槽をただひたすら眺めた。
ただ、餌を食べすぎて太りすぎた金魚には魅力を感じなかったが、水槽の水だけはいつも変えてあげた。
前触れもなく現れるマムシはさすがに怖かった。あの動きは見るたび身震いがする。
雪は一夜で50㎝~1mなんて当たり前。雪が積もると逆に家が暖かくなる。ちっとも寒くなんてなかった。
一面真っ白の銀世界に、最初の足跡をさくっと入れるのは快感だった。
田んぼを凍らせてスケートした。しもやけになった。スキーもスケートも滑るのは苦手だった。
雲の写真をよく撮った。空はいつも違う色、違う景色を見せてくれた。
庭で採れた梅を使った梅ジュースが夏の大好物だった。
落ち葉は畑にとって最高の肥料だった。
アリの巣を辿ってお菓子を置いた。
木の校舎のワックスがけは面倒だった。クルミをガーゼで包んでこすり付けるのだ。骨が折れる作業だ。
よく一人で山を散策した。山登りが大好きだった。山を駆け下りる時はまるで空を飛んでいるような気分だった。氷の上も道のない山道も転ぶことはなかった。地球に対してどのように足を踏み込み体重をかければいいのか、体が知っていたのだ。
ある日、雪山に遊びに行ったとき、ウサギの足跡を見つけた。その足跡の様子から、猛獣が近くにいることがわかって恐怖を感じ、急いで引きかえした。
真夜中に蛍を見に行ったり、お墓に涼みに行くこともあった。夜の山を怖いと感じたことはなかった。


木を切る大人が大嫌いだった。木や花や草は、切られると光が消えた。彼らは「痛」がって時に「泣」いた。

彼らは人間と同じように生きていた。
魚釣りをする大人が大嫌いだった。命をもて「遊」ぶ大人は最低だと思った。

釣った魚を川に戻しても、釣針で負傷した魚が長く生きられないことを知っていた。


まだ私が8歳位のとき、隣りのおばちゃんがネズミ取りで捕ったネズミを、ネズミ取りごとバケツに入れて水を入れ始めた。

ネズミは息をしようともがいて上の方にへばりつき、小さな網の隙間から一生懸命鼻を突きだした。

それを落とそうと、おばちゃんはアルミの金具でガシガシとたたいた。小さなネズミの鼻から血が噴き出した。

見ていられなくなった私は家の中に逃げ込んだ。しばらくして通りかかった時、小さなネズミは横たわって動かなくなっていた。


大人は酷い生き物だと思った。





自然は、常に輝く命の光を与え続けてくれたのに、大人はいつもそれを破壊し奪っていきました。
私はそれと相対し、当然のように植物と会話し、共に歌い、動物たちを愛し、自然と共に生きました。
自然を破壊する大人になどなるものかと心に誓いました。


しかし、その思いは中学校に入るとともに忘れ去られていきました。


私の関心ごとはどんどん「自然」から「人」へ」移って行きました。


恋や友達関係、職場の人間関係、社会、常識に揉まれ、

風を感じなくなり、空を見上げなくなり、鳥の声が聞こえなくなり、釣りをし、花束を買い、雑草をうざがり、蜘蛛や蟻や虫たちをを殺し、山や川を避け、
いつも間にか「自然」を破壊し怖がる大人になっていきました。